本日の創作精進料理
桃あんのわらび餅(左上)、焼き豆腐の生姜味噌田楽(右上)、鰻もどきご飯(左下)、ナスと椎茸の味噌マヨ焼き(右下)
⇒桃あんのわらび餅は、大阪の茜丸さんの桃あんを使用して作りました。あんこの味にしっかりとした桃の風味もあり、わらび餅のやわらかさと合って美味しかったです。鰻もどきは鰻っぽく作れなかったのが残念・・・・・。
<<精進料理の歴史>>
飲食店(うどんと創作精進料理)を開業している時に知人やお客さんから「精進料理って、どうして肉食は禁止なのか?」と時おり聞かれました。
『肉食は殺生にあたるから』とよく言われていることに対して、植物も生き物なのにという疑問から質問されたんだと思います。
そうですよね、同じ生き物なのに、動物は食べるの×で植物は食べるの○って偏っていますよね。
たぶん、多くの人が疑問に感じる点だと思います。
店を営業していた時には、うまく説明ができなかったのですが、これは、仏教がインド→中国→日本へと伝来していく長い歴史の中で確立した戒律です。
以下に簡単ですが、インド・中国・日本の食事観をまとめましたので(私の解釈も入っています・・・・それに勉強中ですが・・・・・)、良かったら読んでいって下さい。
<<インドの僧侶の食事・労働観>>
インドでは、特に禁止している特定の食べ物はありませんでした。
ただ、食物を得る方法は托鉢によって得ていました。
⇒農耕や狩・漁は、不殺生(狩や漁は当然だけど、農耕も植物を傷つけるので禁止)や労働行為の禁止(物欲や所有欲につながる)により禁止されていました。なので、食物は托鉢によって得、肉や魚がお布施された時には、ありがたく頂いていました。肉や魚がお布施されることは稀だったみたいです。
また、肉に関しては三種の浄肉のみ頂いていました。
⇒・動物が殺されるのを見ていない肉・自分の為に殺されたと聞いていない肉・自分の為に殺された疑いのない肉のみを食べていました。例えば信者がお坊さんが来られるということで、奮発して家畜を絞めて出したような肉は食べることを禁じられていました。
<<中国の僧侶の食事・労働観(精進料理のはじまり)>>
インドで発祥した仏教が中国に渡り、中国の僧侶も当初はインドの戒律を守り修行していたのですが、権力者の支援がなくなったり、中国では托鉢の習慣がなかったりで、中国の僧侶は食べ物に困窮していきました。
そこで、中国の僧侶は、やむを負えず戒律を破り農耕を開始しました。
また、それと同時に肉食を禁止しました。
⇒肉食を禁止したのには不殺生の厳格化とされいるのですが、私が思うには、農耕により緩めた戒律を肉食を禁止することにより引き締め、戒律を改めたのではないかと思っています。
さらに五葷(ごくんと読みます。にんにく、ねぎ、にら、たまねぎ、らっきょうのこと)も煩悩を刺激することから食べることを禁止しました。
⇒五葷に含まれる野菜は時代や地域によって異なります。また、五葷以外にも食べてはいけない野菜があったりもします。
<<日本の僧侶の食事・労働観>>
中国で始まった精進料理は仏教と共に日本に伝来し、日本の精進料理は、肉(魚)食の禁止/五葷の禁止/卵・乳製品の禁止となりました。
⇒卵・乳製品の禁止について、無精卵や乳については殺生していないのでいいのでは?と思われるかもしれませんが、人間が卵や乳を搾取することにより、鶏や牛が余分に植物を食べることになるから禁止していると言われてます。また、卵・乳製品の禁止も時代や地域によって異なっています。
<<精進料理について>>
これは私見ですが、精進料理は殺生につながるから肉を食べないとよく言われるのですが、どうも、不殺生と心身浄化(肉など特定のものを摂らないことによる浄化)がいつのまにか混同してしまったのではないかと感じます。
ちなみに、閉店した店も開店の際には、どこまでの範囲の精進料理にするか悩んだ末、結局はインドのお釈迦様のおおらかな食事観をもとに野菜を主体とした多少の肉も使用する創作精進料理の店として営業していました。
以上、ここまで読んで頂いてありがとうございます。